この春、文学部に入学したみなさん、おめでとう!

文学部に入学したみなさん、おめでとう!

就職がない*1だの社会不適合者が行くとこだのそこ出てなにすんのだの言われつつも文学部に入ってくれたあなたを、私は心から歓迎します! だって仲間が増えたんだもの! いい仲間かわるい仲間かは知らんけど! うれしい!

しかし文学部ってなんでこうも「文学部イズム」的な何かがあるんでしょうね。同胞意識、めちゃくちゃ強い。なんでだろうね。

私もたまに、文学部とは何だったのだろう? と、考える時があります。

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時計台の裏。今日行ったら新入生いっぱいでこわかった……。


京大の文学部図書館という場所は、文学部の校舎(文学部新館*2という)の地下にある。つまり文学部図書館に向かうには、必ずそこに至る階段を下る必要がある。

文学部新館の二階や三階で、階段の踊り場から地下の図書室のほうを見下ろそうとすると気づく。そこにネット網が張ってあることを。

ある時、先輩から「あれ、自殺予防の網らしいよ」と聞いたことがある。

分からなくもない。階段の踊り場からぼんやり図書室のほうを見下ろしていると、すぅっと吸い込まれそうに落ちてゆきたくなるの、ちょっと分かる。

 

 

そんな与太話はおいといて、文学部の先生*3のブログに、こういう記事がある。

chez-nous.typepad.jp

 

文学部イズムというものがあるとすればーーなんかこんな恥ずかしい言い方すると文学部の方々に白い目で見られそうだけれどーー「絶望」がちゃんとここにあるという希望、のことだと思う。

 

そもそも、人生とか人類とか世界というのはどうしようもないものである。

まじどうしようもない。キリスト様が原罪を説いたのはさもありなんという話で、人生の年月を経れば経るほど、人間は思ってたよりよろしくない存在だなぁということに気づく。もちろん自分も。人間も私もバカだしアホだし、大人になってもたいして成熟しない、あるいは成熟しようとしない。自分にデメリットがあればそこには目をつぶる。

でも、そういうもんだよな、とも思う。うっすらと私は諦める。人間も私もどうしようもないもんなんだ。しゃーない。

しかしなぜか社会は諦めない。成長を遂げ、だれかに勝ち、恋をして、子供をつくり、人とわかり合うことで、あなたの人生はすばらしいものになる、と社会は言う。たとえ幻想だとしても、諦めないようにしようぜ。そう語る言説に社会は満ちている。

躁状態にしてもひどいよなァと私は思う。ほんまかいなという希望ばかりが電車広告に踊る。まぁ気持ちはわかる、結局そういう希望でテンションを上げてないと社会で頑張ることなんてやってらんねぇんだよな。ドーピングのようなもの。

でも、そのドーピングに疲れる時はやってくる。希望ばかりを追うのはしんどい。

そんな時、文学部はあなたのもとへやって来る。

文学部は、たとえばヘミングウェイの『移動祝祭日』みたいに、あなたのところへやって来るのである。

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我が家のぬいぐるみ可愛くないですか。


文学部の先生方は言う。文学や歴史や哲学やどれを見てもわかるように、世界は絶望や虚無に満ちてるよね、もう僕はそろそろ歳もとったしいいんだよ、でもあなたたちは若いし希望もあるんだから生きなさいね、と。

そして先生方は、そう言いながら私達を踏んづけて行く。知識と論理力と背中とその他圧倒的なものによって軽々と私達を踏みつける。くやしい。なんでやねん。もう死ぬ歳だなんてさっきまで言ってたくせに。

私達は、そんな先生方を乗り越えるために、いつか先生方を踏んづけるために、図書室の埃臭い匂いを嗅ぎ、本をめくる。なんでこんな私はアホなのかなぁ、ちくしょうこんなん読めねぇよ、と半泣きになりながら。

文学部という場所のことを思うとき、私はその時嗅いだ本の埃臭い匂いのことを、思う。

 

希望なんていうきらきらした言葉はどこにもなかったけれど、むしろ希望なんかこの世界にはないよって言われ続けたような気もするけれど、でも、文学部にはたしかに絶望と失望に満ちた中の希望があった。

それは文学部の古いほうの校舎に眠る幾多の論文雑誌のことで、地下の図書室に至る踊り場に掛けられた自殺予防の網のことで、そこで出会って鴨川デルタで缶ビールを飲んだ友達のことで、三限の講義室でうつらうつらと頭を揺らしながら聞いた先生の声のことだ。

 

私は明日世界が終わるって言われても「よしきた!」と思うだけだろうけど、明日食べたい期間限定のハーゲンダッツを買うことと、明日のゼミで読む論文を予習しておくことを怠らない。

あーもう明日人生終わってくれよと嘆きながら、明日借りる本の予約をしている。

まぁ、そういうことなんだよな。


人間も世界もどうしようもないけど、万葉集の歌は、カズオ・イシグロの小説は、九鬼周造の理論は、ラファエロ前派の絵画は、それでも善きものなんだよ。残念だね。

くすくすと笑いながらそれらの悦びに浸った、そういう文学部的空間のことを、私はたぶん一生忘れない。

そんで文学部がいらないとかなんとか外野からは言われるけれど、文学部はいつだって埃にまみれてそこにある。疲れた時に移動祝祭日みたいにあなたのもとにやって来る。だから誰になんと言われようと、あなたとわたしの文学部は、何ものにも壊されたりはしないのだ。

 

 

そんなわけで、いろいろあるけど文学部たのしいよ。

文学部への入学、おめでとう! 

 

どうか、あなたが素敵な出会いと幸福な日々を、ここで見つけられますように。

 

*1:これは私の所感なのだけど、文学部に来ると就職できないのではなく、文学部に来ると就職を素直にいいものと考えられないスピリッツに染まってしまうため就職へのやる気が若干なくなる、の方が正しいと思う。でも私の知ってる文学部の方々はみんな立派に就職なさっていったので、そんなに世間は言わなくても……って思っちゃうな~どうでしょうね。

*2:耐震工事のために新館を建てたのに、旧館はいまだに雑誌所蔵の図書室として使われているという文学部の闇。文学部の雑誌室に行くやつは地震で野垂れ死んでもよいという暗黙のメッセージにしか思えない。

*3:講義がほんっとうに面白かった、思い出の先生。もう退官なされたけれど、「テストの九十分間、どこに行っても誰に何を聞いても何を見ても構わないから回答を完成させよ」という試験、面白かったなぁ。まったく歯が立たなかったけども(今ならもうすこしマシな回答が書けるかな、無理かな……)。ちなみにこのテストには二問目があって、「この授業への自己評価を百点満点で点数をつけなさい、それをあなたの成績にします」という問題だったのだ