その本棚に潰されなくとも

昨日の朝、がたがたっ、と私の横が揺れた。

なんじゃらほいと思って顔をあげると、揺れていたのは私の頭の前にある大きな本棚だった。

そして本が二冊ほどジャンプするみたいに、飛び出していった。

ひゃーすごい、と思うも束の間、自分も揺れていることに気づいた――くらいのタイミングで、揺れなくなった。

 

なんだこれは。地震か。地震だ。

そう思って目の前の本棚を見つめた。体育座りでパンを食べていた私の横には、本がぎっしりと詰まった、背丈よりも大きい本棚があった。めっちゃ普通に揺れていた、のだ。さっきまで。

わ-、これでもしこの本棚が倒れてきてたら、完全に私直撃じゃないですか!

 

と思って、のそのそと本を二冊拾ったところで、ふと、既視感を覚えた。

なんかこれ、前もあったぞ、と。

 

 

 

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我が家の本棚の一部。ひつじの名前はベルカ(@古川日出男)です。



スマホツイッターとラインを開く。そのうちに思い出した。

七年前だ。

 

 

東日本大震災の時、私は地元の高知県にいた。

高校二年生だ。もうすぐ高校三年生になろーかという季節。たしか、当時の私の「志望校」であったところの京大入試でyahoo!知恵袋に入試問題が投稿される、というけったいな事件が収束した頃合いだった。*1

期末テストの期間で、だから午後の割とはやい時間に図書室にいたのだ。もちろん図書室へ勉強しに行ったわけではない。趣味の本を借りていたのである。今にして思えば勉強しろよとツッコむ。うーん期末テストはちゃんと終わっていたのだろうか……。

しかしその日、もちろん高知県は揺れなかった。東北で大変な地震が起きたことなんて、気づかない。図書室で私が本を選んでいると、「ピンポーン」と校内放送が鳴った。

「東北で大きな地震が起こりました、津波の心配がありますので全校生徒は速やかに帰宅してください」

――その放送を聞いた時の風景を、私は今でも鮮明に覚えている。

 

私は学校の図書室の、大きな大きな棚の、村上春樹全集の前にいたのである。

その時の一瞬、にわかに思った。

「ああこの瞬間起こった地震の場所が高知だったなら、私はこの本棚に潰されて死んでたのかもな」と。

 

 

結局、図書室の司書さんに急かされながら選んだ『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を借りて帰った。

 

 

その時、私は当時の東日本の凄まじい状況など何も知らなかった。ほんとうに何も。帰ってからテレビをつけて驚いた。

あの時見た、終わらないニュースの風景。そのテレビを青ざめながら見ていた母親の横顔とか、異様なまでに流れる「ぽぽぽ~ん」のCMとか、私はたぶん一生忘れないだろう。

だけどその記憶以上に、図書室で感じた「あ、この地震がもし高知で起こっていたら」という感覚を覚えている。

「ここで本棚に潰されていたのは自分だったかもしれない」という感覚。

 

いや、そりゃ「この地震が高知だったなら本棚に潰されていた」とか完全に不謹慎な発想である。何が本棚やねん、本当に震災にあわれた方の気持ちを考えろっ、という話でもある(もしこれで気を悪くされた方がいたら本当にごめんなさい)。*2

それでも「あ、もしかしたらこの瞬間死んでいたのは私かもしれない」「なのに私じゃなかった」という感覚は、私のどこかにずっとずっと残っている。

だってあの時私は自分より大きな背丈の本棚の前にいたのに。

 

 

ニュースで地震の映像を見ると、ほんとうにつらい。何がどうして誰かの好きな人や街や大事なものをぜんぶ壊されなくちゃいけないのかと思う。どうして、地震とか突如やって来る「そういうもの」は、私たちの大切なものを奪ってゆくのか。

だけど、そんな私の嘆きなんて知らずに、「そういうもの」は手を変え品を変え私たちの前へやってくる。

その本棚に潰されなくとも。地震にたまたま遭わなくとも。
災害だったり事故だったり病気だったり犯罪だったり「そういうもの」は、私たちのもとへやってくる。

「そういうもの」は、できるだけなくしてほしいけど、きっとなくなることはない。

 

さあもうどうすればよいのかっ!

と地球にツッコミを入れたくなるけれど、しかし地球は依然としてすっとぼけた顔でボケ続けたままである。居住まいを正してくれる気はなさそうなのだ。どういうこっちゃねん。

だけど今のところ地球がどうにかする気がないのならば、どうにかこうにか、奇跡的に目の前にいてくれるあってくれる私なりの好きなもの好きな人その他大切なものものを、大切にしてくしかないんですよね……。

ああもう、どうかちまちま地球が耐えて、あるいは人間がなんとか技術を上げて、大きな被害が出るような災害がひとつでも減りますように~~~。もう、たのむよほんと……! 

 

 

それにしても。

あの時ぞわっと感じた「今、ここで死んでたのは私だったかも」という感覚も、「だけど私じゃなかったんだなぁ」という心情も、色んなことに対して「こわいこわいこわい」と思う臆病さも、なぜかいまだに大きい本棚の前にいることも、7年たっても変わることはないけれど。

それでも私は、まだここにいるんだよなぁ。

なんだか不思議で怖くてよく分からなくて、でも、当たり前じゃないのだ、と、笑ってしまう。

 

当たり前じゃないよね。明日もがんばっていきましょーね。

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 ちなみに村上春樹の小説は高校生の時読んだけど「『ノルウェイの森』しか好きじゃない」というのが本音であった。私が彼の作品をちゃんと読むようになるのは、もっとずっと後の話である。

*1:あとからニュースで知ったことだが、入試問題を質問しちゃった人は完全に志望校・学部が私とお揃いだった(※京大文学部、早稲田文学部、同志社文学部)。「これ私の年だったら私が疑われていたのでは……」と思ったことをやけにはっきりと覚えている。

*2:更に言うと、私の母校はもちろん図書室の本棚に防災設計くらい施していたと思われるので、地震が起こったからといって本棚に潰されていた可能性は低いと思われます……たとえば、という話ですね。高校生の小娘の発想です。しかし大げさかもしれませんが、皆さんどうか高い棚や身動きのとりづらい場所にいる時は気をつけて!