実年齢24歳にもなるのに未だに自意識が13歳

人生、24年目である。

正直、分からない。ここ数年、自分の年齢に全然しっくりいってない。自分がもっと年取ってていい気がするし、逆に自分がもっと若くてもいいはずだという気もする(なんて図々しい発言なんだ)。23歳とか24歳ってみんなこんなふうに微妙に過ごすものなのだろうか。私が毎日ぼんやり過ごし過ぎて年齢に自意識が追いついてないだけなのか。

そう、自意識。

全然、年齢に追いついていない。自意識。なぜだろう。ふだん京都とかいうゆるい土地にいるからだろうか。大学とかいう永遠のネバーランドにいるからなのか。とにかく、自意識が年齢に見合ったものである気がしない。

 

何の話かっていうと、突然ながら、私には「発するのが恥ずかしい言葉」というのが数多く存在していることを告白したい。

私の自意識が邪魔をしてしまい、「どうにか別の言葉に変えたい」と身をよじってしまう言葉たちである。

これを発している自分が恥ずかしい、とか、なんか口にすることができない、と思えてしょうがない言葉たち。大人になればそんな自意識も減って気にならなくなってくるものなのかと思ってたけれど、やっぱり今も恥ずかしい。自意識が幼いからだろう。ぎゃあ。

というわけで今回は、突如発するのが恥ずかしい羅列をいたします。みなさんもありますかね、発するのが恥ずかしい言葉たち。はい、行きますよ。

 

 

 

 

マクド

「ド」がきびしい。恥ずかしい。

関西では「マクドナルド」のことを「マクド」と言うのだけど、自分も関西に来たことだし郷に入ってはなんとやらというわけでこれを言おうとしたのだけど、きびしい。

理由は分かっている。この「マクド」という言葉を脳内で再生すると、私の場合、妹(六歳下)が「マクドよー」と発音する声で再生されるのである。不思議だ。「マクドよー」私は彼女の口から「マクド」という言葉を聞いたことはないはずである。妹は私と同じく高知県出身であるから。なのに脳内再生がなぜ妹の声なのか。分からない。

だがおかげで「マクド」という言葉は若者言葉である、というイメージが植え付けられてしまった。女子高生じゃないんだから、と慎んでしまう。ちなみに土佐弁では標準語の「~ってさー」と同じ用法で「~ってよー」と言う。

 

ロイヤルミルクティ

「ミルクティー」なら普通に発せられるし、「ロイヤルミルクティー」も飲み物としては好き。けど発音としての「ロイヤルミルクティー」が、なんかこう、なんなのさ、なんだよう、言えない。ロイヤルってあなた、ロイヤルって。恥ずかしいぞ奥さん。ろい、という口の動きにもにょもにょしてしまう。ちなみにこの羞恥心は某・焔の錬金術師とは関係ないはずである。

だって意味として「ロイヤル」は既に高貴なのに、発音までラ行とヤ行と母音ってのがあまりにも高貴っぽく気取って見えてしまう。庶民的なカ行とかサ行とは一線を画した何かを感じてしまう。うぎゃっと冷や汗かく。庶民だからね。ただ今気づいたけど字面は大丈夫だ。あくまで発音の問題ですね……。

 

・つぶやく

これはあれです、「ツイッター上で何かを言う」って意味の動詞としての語彙です。

だって「ツイッター」のは固有名詞だし、私たちはTwitter社の作ったアプリを使って遊んでいるだけなのだ。しかしそれを「つぶやく」と表現するのが、あまりにも違和感がある。つぶやく、というのは昔からあった日本語である。声を発する意。なのにツイッターという固有名詞から派生してしまっていいのか。いいのかほんとに。グローバル資本主義に屈服してしまってないか。むりだ。私には「ツイッターで遊ぶ」ことと「つぶやく」を繋げられない。

だってつぶやくったって絶対他人がいるじゃんつぶやいてねぇ! はい、次。

 

 

キュロットスカート

分かる人には分かる、見た目はスカート、中身はズボンっていうアレである。

これを初めて思ったのはたしか小学二年生くらいの時だ。キュロットスカート(恥ずかしい)は小学生女子にとっては大変便利なシロモノだった。なぜならズボンだから遊ぶときもあれこれ気にしなくていいし、けど見た目はスカートだから可愛い、という一石二鳥っぷり。

けどこの名前は恥ずかしくないですか? きゅろっと、て。羞恥心を覚えていた小学生、絶対いっぱいいたはずだ。親に「キュロット買って」。言えるけど言えない。きゅろっと。まぁ今思えば小学生が言うきゅろっとすかーと、なんて可愛いもんだと思いますけど。今もあるんだろうか、きゅろっと。きゅろっと。穂村弘の短歌に出てきそうな単語だな。きゅろっと。

 

・現社

その昔、高校生の時に習った「現代社会」の略。

なんで中高時代ってあんなに何でも略したかったんだろう……。KY、とかの略語が流行ったのもあの頃だった。「ゲンシャ」って言葉の響きが、いかにも「科目名は略すという法則に従って略しました」という感じがあって恥ずかしかった。「現国」は分かる。言葉もしっくりくる。げんこく。うん、響きもいい。けど「現社」はだめだ……。げんしゃ。あまりにも尻切れトンボ。魔女のキキもびっくりな略しっぷり。

 

・原稿

もう第一位にしてもいい。めちゃくちゃ恥ずかしい。素直に恥ずかしい。むかし土曜に家族で見ていた恋愛ドラマに出てくるこっぱずかしいやめてほしい台詞みたいな存在。

私は「原稿」という言葉を使うのが異様に恥ずかしい。

なんかこうそこはかとない「作家の先生っぽさ」があるからだろうか。私の中にはいまだに13歳の自分がのそっと居座っているのだけど、13歳の自分から「作家でもなんでもないてめえが原稿なんていう高尚な言葉を使うんじゃねえ!」というツッコミが入る。そのとおりでございます。恥ずかしい。いまこれ打っただけでもふくらはぎが痙攣しそうである。原稿。おう。同じ理由で「執筆」とか死んでも言えない。

でも分かっているんですよ……。これを恥ずかしがってるお前が一番恥ずかしいわ! その通りだ。知ってるんだ。そんなところに自意識を持つ自分がそもそも恥ずかしい。わかっている。

しかし私の自意識はいまだに13歳なのだ。なにくわない顔なんてできないんだもん! もんとか言ってしまった。

ただこの言葉を使わないとすればお前がいつも編集者さんに送らせて頂いているwordファイルは何者なんだ、という話なので、メールではちゃんと「原稿」を使う。13歳の私に対する24歳の勝利だ。おとといきやがれ13歳、大人になるとはそういうことだ。*1

 

 

 

なんで恥ずかしい言葉をこんなに羅列してるんだ私は、と、度々疑問符が飛び出てきましたけれども。

でも、こういう羞恥心も、もうあと一年もすれば消えてくのかな……。恥ずかしいってわめくこと自体、今の若気の至りなのかな……。と、こないだ突然河原町サンマルクでしんみりしてしまった。

昔は無理だったけど今はもう大丈夫なことって世の中にたくさんある。無理なことをどんどん失って私たちは大人になるのだろう。

というわけで今のうちに記録しておいた次第です。おそまつさまでございました。

一年後の私がこのブログを読み返し「うふふ、あんなマクドとか原稿って言葉くらいで恥ずかしがっちゃって」と微笑むマダムになっていることを切に願う。ふふふふふふ。

*1:私は早生まれだったため「中ニ」というとほぼ「13歳」だったため、今も心に居座る中二病の自分を13歳と名づけている。