「人文学って何の役に立つの?」って聞かれた時の最適解 ――シェヘラザード・サバイバル・大作戦

今も昔も、私の「理想の女」はシェヘラザードだ。

話が面白いから殺せない女になりたいのである。

 

バートン版 千夜一夜物語 第1巻 シャーラザットの初夜 (ちくま文庫)
 

 

のっけから何の話だと思われるかもしれないが、シェヘラザードというのは、『千夜一夜物語』に出てくるヒロインのことである。

千夜一夜物語』(通称アラビアン・ナイト)。どんな話かってーと、

ある国に王様がいる。で、この王様、奥さんに不倫されてしまったがために、毎夜ひとりずつお嬢さんと寝て殺すことを繰り返す暴君になってしまった(ド迷惑である)。そんな中ある娘シェヘラザードは、自ら王の寝所へ行く。そして彼女は、王様に自分の知っているお話を聞かせる。その話が異様に面白かったがために彼女を殺すことを忘れた王様は、夜が明けても「はよ次の話をせんかい」とせがむのだけど、シェヘラザードは「次の話はもっと面白いけれど、続きは明日ね」と囁くのみ。そうしてシェヘラザードは毎夜王の寝所で話をし続け、千夜明けたころには、王は彼女を殺す気はなくなっていたのであった……。

という物語集が、『千夜一夜物語』なのである。

この、シェヘラザードが語ったお話のひとつが、有名なアラジンの話や、シンドバッドの話なんですね。

憧れるよねえ、シェヘラザード。この話をはじめて知った小学生の頃、私もシェヘラザードみたいになりたいと思った。しかし今も昔もエピソードトークが下手な私はまちがいなく一晩で殺されてしまいそうである。うーむ。

 

 

そんなわけで、全然関係ない話なのだけど。

最近「それって何の役に立つの?」という言葉についてしみじみ考えている。

 

日々、小説を愛でつつ大学で文学研究なんてやっていると、「それって何の役に立つの?」という素朴な言葉からは逃れられない。

もっというと、「人文学って大学でやる意味あるの?」という問いに答えられなくちゃいけない。

なぜなら大学は税金が注ぎ込まれてできる場所だからだ。

 

「人文学って何の役に立つの?」という問いについて、「研究は役に立つ立たないなんて関係なく、自分の知的好奇心のためにやってるんだよ!」と答える人がいる。そりゃ本心ではそうだろう。

だけどその返答は「その人」にとっての意味であって、「税金」にとっての意味ではない。と私はしばしば思う。いやいや答えになってねえ、とツッコミたくなる。

あるいは「役に立つ立たないなんていうアホな質問はやめたまえ、私たちはそんな功利的なもののために研究しているわけではないのだ、もっと大きな問いに従事しているのだ」と答える人がいる。

そりゃあ研究する一番のモチベーションはそうですよ。あたりまえじゃないですか。問いの答えを知りたいから研究する、以外の答えなんてない。

だけど「役に立つ立たないなんていう議論がおかしい」って返答は、「だから税金をきちんと大学にください♡」の理由にはならない。残念ながら研究にはお金が必要であり、そのお金は今のところ自分のポケットマネーでもなんでもなく、もはや私くらいの同級生たちが働いて新卒の安い給料からなぜか異様にとられる税金によるもんなのである。そりゃまぁその人たちに還元できる答えがないとあかんわ。(そもそも院生のポケットにマネーなどない)。

正直、ここで「人文学は何の役に立つのか」なんて議論をするには、おねーさんそれはちょっと問いの立て方が雑すぎるよ(だって哲学と歴史学と文学が同じ役の立ち方なわけがないじゃないか)と思っちゃうし、私ができるのはせいぜい「日本の古典文学研究は日本にとってなんの役に立つのか」という話くらいだ。ちなみにこの問いに関してはうちの先生の完璧な解答があり、私はいつも先生の言葉を引用している(ちゃんと「受け売りですが……」って注釈付けてますからゆるして)。

そして「何の役に立つの?」って聞かれた時、人文学を研究する一人一人が、ひとつひとつの分野について答えを提示してくしかないんだな、とも思う。

 

「説明のための言葉」が必要なのだよな。

生き延びるためには。

 

 

 

つまり何が言いたいかって、そろそろ「それって何の役に立つの?」と聞かれたときに「そんなバカな質問をするのはやめたまえ」という王道の人文学的返答をするのは悪手ではないでしょーか……。という話である。

こんなことぺーぺーの院生が言うなという話だけどさ……(怒られたらどうしよう)。

 

そもそも「そんなことも知らない」相手をバカにして「知っている」自分を上に置く、という手法は議論の王道だ。私たちはそれを勉強するまで、勉強の価値を知らない。研究も同じだ。きちんとやってる人にしか本当の価値や意味なんて分かるはずがない。いや研究だけじゃなくて、どんな分野の仕事も同じだろう。

だけど、だからって「役に立つとか立たないとかいう次元の話をしていないのだ、そんなバカな話をするのはやめたまえよ」と言ってしまえば、いよいよ「ち、近寄りたくねえ」と思われるほかない。

もちろん「なんの役に立つの?」って言葉、こっちをバカにしてるみたいで腹立つけどさ、そりゃ。でもそんなとこで怒ったってしゃーない。

そうじゃなくて。

「何の役に立つの?」と聞かれたときに「こういう面白い話ができるくらいには」ってひとつ話を披露できるくらいの力を持っておきたいな、と私は思うのだ。

そんで「何の役に立つか」という問いを忘れさせ、「へー、人文学って面白いんだなー、もっと続きの話を聞きたいなー」と思っていただく人口を地道に増やすこと……が、草の根運動的にできる最適解ではないだろうか。

 

つまりは、シェヘラザード大作戦である。

わかりますか、「殺すには惜しいな、もっと話を聞きたいな」と思わせるアレである。

私たち人文学系研究者(見習い)は、みなさん(暴君でなくてもよい)に、「この分野の続きの話を聞きたいな、殺すには惜しいし、もうちっと生かしてやるか……」と思っていただく技術を身に着ける、のが、明日を生き延びるギリギリ・サバイバル・メソッドなのではないだろうか。

だってその話の続きを語るには、研究が進まないといけないからさ!!!(切実)

 

「研究をひらく」とか「外向きに動く」とか、言うのは簡単で、実行するのはめちゃくちゃ難しいのだけど。だって実際アインシュタインの研究なんて意味わからんしさ。だけどそれでも、私たちは生き延びる手立てを見つけるほかない。

アラビアン・ナイトもびっくりな世知辛い世の中であるけれど、ひとつひとつ「面白い話」を増やしてゆくのだ。

 千夜が終わるには、まだきっと早い。

 

 

 

そういえば大昔、私が今と違ってまだいたいけで世慣れていない幼稚園児だったころ、母親に「どうしたら友達ができるかなあ?」と聞いたことがある。

すると母は「あなたが勝手に好きな絵を描いて楽しそーにしてれば、自然と絵が好きな友達が寄ってくるし、楽しそうだなーと思って絵を描く子も増えるよ」と言ったのだった。

今も完全に戦法は同じである。こわっ。三つ子の魂、ひとまず二十四年目も続行中である。

こちらにたっぷり蜜を用意し、「あー文学ってすばらしい」とひとりでにやにやにこにこしていれば、勝手に仲間は増えてくだろう……というのが私の基本スタンスである。そんで聞かれたら「こんな面白い話があってね……」と語り始める。これからもずっとそうしていきたいな、と思う。

もちろんできるだけそれが、ほんとうに面白い話であることを願ってやまないのだけど。