自分が大人になるだなんて知らなかった

萩尾望都の『10月の少女たち』という短編集が大好きである。

 

短編集といっても、小学館文庫が初期作品を集めて出したものだ。『精霊狩り』とか『みつくにの娘』といった「いかにも萩尾望都」なファンタジーやSFめいた傑作も収録されているのだけど、どちらかというと表題作である『10月の少女たち』や『十年目の毬絵』のような、日常的な物語のほうが好きである。これは完全に好みだけども。私はSFやファンタジーのような「別世界」モノへの萌えが薄いんである……。

で、表題作の『10月の少女たち』は、3つの物語をひとつの読み切りとして出している(というわけで1つのマンガが7ページくらいだったりするのだ、こんな芸当ができるのは日本で星新一萩尾望都くらいしかいない……)。「ねえキスしたことある?」と幼なじみの男の子に笑いかける女の子の話、がさつな少年が家に泊まることになって困惑する文学少女の話、結婚しないかと持ち掛けられる女性の話。一見何のつながりもない物語たちなのだけど、そこには通底する声がある。

「自分が大人になるだなんて知らなかった」

 

 

ずっと、若いっていいねえ、と言われることに違和感があった。

いやもちろん私なぞもう若くないだろというツッコミはあると思うのだけど、まぁしかし社会の中では10代から20代前半くらいまでは「若いしいい年頃」くらいに思われている、気がする。

最近は「若いって枠組みに入るんですね私……」くらいのテンションなのだけど、10代のうちは違和感しかなかった。

若いっていいか!? ほんとに!? こんなに権力もなけりゃ立場もなく何も成し遂げてないのに!? と心から思っていた。

からしたら、何かを積み上げ終わっている(ように見える)大人たちのほうがよっぽど羨ましかった。もちろん今となっては、大人だって積み上げられたものもそのために犠牲にしたと思っているものもあるし、自分では積み上げられていないと思っている大人だっているよな、と分かる。けど子どもだった自分からしたら、年齢を重ねているだけでそれは「積み上げることができている人」に見えた。実際、何らかの立場をもって私たちに接しているわけだし。

 

まぁ、「若いっていいねえ」の言葉の大半はお世辞だし(だって若い子に若いって最悪ねえ、なんて言うやつなんて大人ではない)、百歩譲ってお世辞じゃない気持ちが含まれているにしたってそれは「未来があっていいねえ」と「初々しいっていいねえ」くらいの気持ちだろう。

初々しいのほうが置いておくにしても、未来があっていいねえ、という言葉については、未来があるって知ってるのは大人だけなんだよな……と思う。

 

つまり、人はたいてい同じ場所にはいられず、時間が移り変わるとともに場所を変えてゆくものなのだ、と大人は知ってるのである。

 

 

最近読んだ『白い坂』という歌集に、こんな歌があった。三宅奈緒子さんという歌人の歌である。

  ひらけゆく未来など信じ難ければ胡桃の花をふみ帰るべし(「胡桃の花」)

奈緒子さんは女子高の教師をしていて、この歌も女子高生のことを歌ったものだろう。というのも、おそらく教師である奈緒子さんが、女子生徒たちに「ひらけゆく未来」なんて言葉をかける場面がある。だけど先生にそう言われたところで、女子生徒たちは「ひらけゆく未来」だなんて信じない。信じることが難しい。自分にひらけゆく未来があるなんて、知らない。そんなことを考えながら、拗ねたように彼女たちは胡桃の花をふみながら帰る……そんな歌だと私は思う。

この女子生徒の感じ、よく分かる。昔は「若いっていいねえ」とか「未来がひらけてるね」なんて言われるたびに、「ばかやろう未来なんかひらけてるかよ」とクサしたくなっていた。自分に無限の可能性が広がってるなんて言われても、ならはやくその可能性を終えた将来をくれ……としか思わなかった。

はやく階段すっとばしてえ~~~~と。

 

だけど実際に、ちょっとずつ大人になってみると、「うお、本当に自分は大人になるのか、まじか、そうか……」と戸惑い交じりの動揺が湧き上がる。

 

なんだか大人になるたびに、昔ただの可能性だと思っていたものが、ひとつずつ、形になっていく。

気がつけば去年は親戚のお姉さんの結婚式に1回行っただけだったのに、今年になって4回も結婚式にお呼ばれしている。同級生が結婚式を挙げる年齢になってしまった。

自分は自分のままだけど、いつのまにか同級生はサラリーマンになっているし、結婚とかし始めるし、なんなら自分もいつのまにか社会の一員ぽくなってるし、たぶんこのまま年齢を重ねてゆくんだろう。

こないだなんて、大学の時の友達の結婚式なんかがあって、「こ、こないだまで誰かの家で缶チューハイを飲んでた友達が、人様の夫に……」としみじみ思ってしまった。ふ、扶養家族のとこにマルをつける身分になっている同級生……。

 

 

自覚なく大人になるなんて本当は嫌で、今自分が何をしておくべき時期なのか? 何を積み上げているべきなのか? ってずっといつも考えている。実践できているかどうかは別にして、年齢を無駄にしたくない、っていつも思う。

はやく進めたい、次にいきたい、って。

だけどそれでも、いざ現実を見ると、「ほんとうに人って同じところにはいられないんだなあ」と思う。

 

私たちって、ほんとにあの時、ひらけゆく未来を持っていたんだなあ、と。

 

ずっとみんなで缶チューハイを飲んでいられるなんてそんな能天気なことは思っていなかったけれど、でもやっぱり缶チューハイの代わりにウェディングケーキを一緒に食べる日が来ることはまじで知らなかった。

いやー知らなかった、よねえ。

 

大人になりたくないだなんて、そんな言葉を発することすらできない、自分になってしまった。

 

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