東京物語

三宅香帆のブログです。日々の感想やレビューなど。感想は基本的にネタバレ含むのでご注意を。

リアルタイムに書けない

恩田陸の『光の帝国』という連作短編小説集の中に、「大きな引き出し」という短編がある。

特殊な能力を持った一家の話で、すごく好きな短編なのだけど、その中に「しまう」という能力が出てくる。

 

彼らは、いろんな芸術や文化を自分の中に「しまう」ことができる。百人一首とか、シェイクスピアとか、楽譜とか。一度「しまって」しまえば、それを忘れることはない、ずっと覚えていられる。記録係のような役目。大人になればそれが「響く」こともある。そんな能力を持った男の子が主人公として現れる。

この話はもちろんファンタジーなのだけど、この「しまう」という表現をはじめて読んだとき、驚いたことを覚えている。

「しまう」って、すごくよく知ってる感覚だと思った。

 

大学1、2回生の時よくひとりでやっていた趣味のひとつに、好きになった長編漫画を繰り返し読んで、どの巻にどのエピソードがあるかぱっと分かるくらいにするという遊びがあった。*1どのあたりにどの話があったか。一度読んでも、覚えているようで意外と覚えていない。何度か読み返してはじめて、漫画全体の構造がぱっと頭の中に入る。

そして、それくらい何度も読み返すと、自分の中にしっかりその漫画が入った、という気になる。

『光の帝国』の「しまう」という表現を読むたび、この感覚を思い出す。小説にしても漫画にしても歌集にしても、一度読んだくらいだと「はー面白かった」という感想のみが残る。だけど何度も読んでそのエピソードや構成みたいなものを覚えると、「自分のものになって、もう引き出しにしまい終えた」気分になる。

なんだろう、ジーンズを何度も履くと自分に合うようになる、みたいな? 

 

 

「読む」から翻って「書く」を考えてみると、これと同じ作業を自分の記憶についてしてるように思う。

書くことで、私は記憶を自分の中に「しまって」いるのだ。

 

 

覚えているという段階において、記憶は鮮明だけど曖昧だ。ぼんやりと今にも色が消えてしまいそうで、いつなくなるかも分からない。まだ色をはっきりと塗っていない下絵みたいな。編集されていない撮りっぱなしのフィルムみたいな。

だけど、いちど記憶を「書いて」しまうと、それは完全に色味も場面も音も形も固定される。するともう鮮明で捉えどころのない感情や感覚ではなくなって、それに名前がつく。文章という容器に瞬間冷凍する。ぼんやりとした「記憶」からひとつのエピソードである「思い出」に変える。体の中に、しまってしまう。

風景を絵に描く、みたいな作業と似ている。その思い出や感情に対して、塗る色を決めたり、線をはっきり決めたり、そういうことをしてはじめて、風景はきちんと形に残る。

 

覚えているものの、どこにもしまい終えていない記憶を、ひとつの文章にして自分の中に「しまう」。

だからこそ、私にとって「書くこと」は「終わらせること」だ。

 

逆に言うと、いま現在自分の身に起こってることを書くのが苦手。いま現在起こっていることは「しまう」ことができない。まだ落としどころが見えていないものは。書けない。

まだどうなるか分からないことはずっと脳内の「下書き」フォルダにある。文章はいくらでも脳内で組み立てられるけど、公開できない。私にとってリアルタイムに現在起こっていることは、人に見せる文章にできないのだな。と、最近気づいた。

「自分の中で結末が見えたもの」とか「どういうオチになるか分かったもの」になってはじめて、書こうと思える。

 

ってそんなブログ論みたいな話でなくとも、たとえばツイッターで「いま誰かとご飯を食べている」とか「いま作業が終わった」とか、そういうことを書くのが苦手だ。あくまで考えたこととか思ってることとか、ふんわりしたことになってしまう。具体性を伴うのは、終わってから、とどこかで思っている

日常生活でも、人に相談することが少なくて事後報告のほうが多いし、そういう性格なんだと思うんだけど。

 

 

 

書けば、もう記憶を思い出にする作業を終えて、終わりが来るんだなあ、と思う。

 

落としどころを見つけるというのは、なくす心配がない一方で、鮮明な記憶そのものではないので、少しさみしいっちゃさみしい。

だけど私は書いて、いろんなことを終わらせる。そんでまた新しいネタを見つける。そうやって色んなものを、色んなとこに、「しまって」生きてるんだなあ、とぼんやりと思う。

 

ま、終わらせることより忘れることのほうが怖いので、書いちゃうんだけど。

 

光の帝国 常野物語 (常野物語) (集英社文庫)

光の帝国 常野物語 (常野物語) (集英社文庫)

 

 

*1:今思うと「きみ暇だったんだね……」という感想しか浮かんでこない趣味だけど。このあたりで読んだ漫画も本も、本当に台詞から何からよく覚えている。おそろしい。