東京物語

三宅香帆のブログです。日々の感想やレビューなど。感想は基本的にネタバレ含むのでご注意を。

理系文系融合漫画ー『火の鳥』(手塚治虫)

www.amazon.co.jp

 

7月末に手塚治虫記念館に行ってきた。宝塚を見に宝塚市に行ったら、手塚治虫宝塚市出身だというので驚いたんである。いやでもたしかに考えてみれば『リボンの騎士』ってめちゃくちゃ宝塚的漫画。案の定、影響を開けて描いた話らしい。

手塚治虫記念館がやたら面白かったので、そこから手塚治虫について考えるモードに入り、とりあえず火の鳥』を読んだ。

むかし図書館で読んだことあるんだけど、今回あらためて通して読んでみて、こんな話だったのかと驚いた。未来篇とかかなり忘れてた……。通して読むと『鳳凰編』が一番傑作で震える。手塚治虫がやりたかったことってこれだったんだと思う。

手塚治虫の創作論。それはつまり、神へ向かう宗教でありつつ、自然を掴もうとする科学であるのだと思う。彼にとって創作というものが。

 

火の鳥』は未来と過去を行き来する形で全編構成されているのが、それはつまりは理系と文系どちらも使用して世界を描こうとしている試みだと思う。

火の鳥』を読んで一番感じたのは、手塚治虫って理系の人だったんだよなあ、ということだった。科学で「世界」全体を捉えようとする、捉えられると思っている、20世紀ぽさ。まあそういう思想がないとアトムなんて描かないよな。あれこそ科学の子、だもんな。それでいて、宗教や創作を通して、世界を見上げるような感覚もある。人文学的な思想。

理系(自然)への感覚と文系(宗教)への感覚の塩梅。手塚治虫の漫画は多ジャンル描かれているというけれど。それは彼の思想がそもそも多ジャンルにわたっていて、全部の手法を使って世界を把握したい、みたいな欲望がものすごく強い人だったんだと漫画を読んで感じた。

 

 

個人的な感覚なんだけど、私は、科学は世界を上から掌握するように理解する学問だと思ってて、人文学は世界を下から見上げるように理解する学問だと思っている。世界というものに対するスタンスがそもそも違う。だから理系は全部数値化するし、文系は全部解釈しようとする。

手塚治虫はどの方向もやろうとした。『火の鳥』の過去と未来を行き来するスタンスはその現れだと思う。しかしこういう、いろんな方向から世界を見てフィクションを作るタイプの作家って、ちょっと漫画家だとほかには思いつかない。だいたいはどちらかだ。世界をとにかくすべての方向から原稿用紙に落とし込もうとする。その支配欲みたいなものが伝わってきてドキッとするのだ。

 

手塚治虫記念館、とても面白かったのでおすすめ。この作品年表(同時並行してる連載多すぎ)見るだけでも元気でる。

f:id:m3-myk:20210816184554j:plain

 

 

f:id:m3-myk:20210816184514j:plain