そろそろベスト・オブ・京都小説アンソロジーを誰かつくってくれ
このブログのコンセプトは「京都の学生生活おすそわけ♡」なはずなのだが、そろそろ本筋から外れすぎてあかんと思う今日この頃である。なんじゃ前回の文章のセブンルールて。自分でつっこむわ。いや書いてて楽しかったからいいんやけど。
しかし京大について語るにしても、いかに京大生が世間のプレッシャーと期待と己の自己像に溺れて変人のフリをしたがっているか、とか、いかに京大男子に新海誠(君の名は。ではない、秒速五センチメートルのほうだ)好きが多いか、とか、そもそも京大男子を知りたければ逃げ恥を読めばすべて事足りる、とか、まぁ、そういう話をしようかなとぼんやり考えて……いたのだが……そんな京大生の生態をみんな読みたいかしら……とちょっと謎と不安にかられてしまった。いやどうなんですかね。
というわけで京大から微妙に外れた京都話をする。のだけど、今日いいたいことといえば、もうタイトルですべてである。
そろそろベスト・オブ・京都小説アンソロジーを誰かつくってくれ。
以上、終了。でもいいんだけど。
いやちょっとお姉さん、思いません? そろそろ欲しくないか、京都アンソロジー。
私は「京都」をひとつのジャンルである、と思っている。
SFとかミステリとかそういうものと並んで、日本人(世界にも、なのか?)の中には「京都」というジャンルが存在しているのである。小説にしろ映画にしろ漫画にしろ、京都が出てくれば、それはただのご当地ものでもなく、「京都モノ」になる。
京都を無駄に使うことなどほぼ許されない。それはミステリの皮をかぶるならば謎解きをしろ、という引力と同じ類いのものであるように見えるのだ。
たとえそこに舞妓さんや清水寺が出てこなかったとしても、京都が物語に出てきた場合、京都の空気がそこになくてはならない。
やっぱりみんなの中に、京都というだけでそこに内包されるイメージがあって、そのイメージはなかなかどうして明瞭なのだ。京都在住です、と県外でいえば大抵「わー京都か、いいねえ」と言ってもらえるくらい、京都はみんなの心象風景の中に根付いている。ちなみに私は高知出身だが「高知、いいねえ」と言われる回数は5回に1回くらいである(そのほとんどが龍馬とお酒とイケダハヤトさんの功績である)。
ちなみに京都ほどのジャンルになり得る土地は、あと日本では北海道くらいだろうか。北海道文学というのは案外存在していると私は見ている(三浦綾子も『Love Letter』も動物のお医者さんもそうだ)。
で、SFもミステリもしばしばアンソロジーが組まれるのに、京都は案外まとめられたことが少ない。なぜなんだ。こんなにみんな京都が好きなのに。
というわけで、どなたかつくってください、京都小説アンソロジー。読みたい。
ぜーったいに京都の安易なイメージにのっからず、それでいて京都だなぁと思う空気感があり、「おお、これも京都」みたいな意外性があるものがいいな。
斎藤美奈子の『妊娠小説』みたいにむしろ『京都小説』で一冊批評本を書いてもらってもよろしい。うん、むしろそっちのが面白そう。
たとえば『ノルウェイの森』はまぎれもない「京都小説」だと思うし(阿美寮は京都になきゃいけない気がする、なんとなく)、入江敦彦の『イケズの構造』みたいな京都論ももっと読みたいし、野崎まどの『know』みたいな京都の精神ががつっとでた小説(個人的にはあーいうのが京都っぽさだと思う)ももっと知りたい。綿矢りさも京都っぽい作家さんだと思う、なんかこうあの手さばきの緻密さに反した「しれっと感」みたいなものが。森見登美彦と万城目学がいかに京大生のイメージを変えたかってのもだれか今のうちにまとめといたほうがいいのでは。
ねぇ、ほら。なにとぞ。よろしくお願いしますよ。
京都論の傑作。
ふだんSFを読まない私も面白かった。おすすめ。