東京物語

小津安二郎オマージュじゃありません(期待した人はごめん)。

キャラを分けたい2018

ああ、ペンネームがほしかった……。と、ぶっちゃけ5分に1回ほど思う。

 

いや、ちがうのだ。「三宅香帆」という名前に不満があるわけではない。というか三宅香帆という名前自体は私はわりと気に入っている。読み間違えられないし。ええんちゃうのという感じである。

そういう話ではない。

24年間生きてきて、現在インターネットするにしても研究の発表をするにしても大学の友達と話すにしてもおばあちゃんと電話するにしても、基本的には「三宅香帆」のものである。三宅香帆は日々インターネットに10年後見たら目を覆いたくなるような乱文を残し、あまつさえその記録をtwitterだのfacebookだので律儀に毎度ご報告している。いま三宅香帆(身体)が死んだとしたらおそらく今後最も生き延びる自分は23~24歳の三宅香帆であろう。

が、いまこうしてぶんしょうを垂れ流している私は、三宅さんではないのである。

こういうと混乱してくる。日本語が伝わらない。しかしこれは本当なのだ。私は三宅さんではない。

 

――小さなころから、私の中には二人の私がいた。

 

……なんて書くと下手なB級小説(いやC級くらいだな)が始まりそうだが、別に二重人格とかという話でもなく、「三宅って二種類いるんだよなー」という感覚は昔からぼんやりとあった。

どうでもいいですがジュディマリの『小さなころから』って名曲ですよね。

 

混乱を避けるためふたりのことを三宅A、三宅Bと名付ける。彼女たちは姉妹である。

三宅香帆A(姉)は、昔から人といるのが好きなのだが、わりと性格は悪い。というか人を見て戦略を立てるのが好きなのである。しかし基本的なところでぼんやりとしているためその性格の悪さが意外とばれないことが多い(たぶん)。日々とりあえずにこにこしてようと思っており、自信家というかナルシストかつ見栄っ張りである。

三宅香帆B(妹)は、昔からピュアっピュアで、ロマンチストで、陰気で、感傷的である。将来については異様に楽観的であるが、自分に対しては自信がなく、被害者意識に苛まれやすい。常にぼけーっとしているため、物事へ反応するテンポが遅い。さらに情緒不安定なので気分の上がり下がりが激しい。

……説明のために書いた性格説明だが、こう書くとまじで下手な小説の登場人物プロットのようだな。うーむ。

 

まぁ本題に戻ると、基本的に人といる時の三宅はAが担当する。しかし文字を書くときの三宅はBが請け負っているのである。自分業務の中で、Aは外交担当、Bは内省担当、と言ってもいい。

Aが日々三宅として活動してきたところ、これまでBはもそもそと何をしてきたのかというと、主に「小説を読むとき」に登場していた。三宅Bは14歳くらいからあまり成長しておらず(というより「自分の中で14歳の自分を凍結している」という表現のほうが近い)、ロマンチストで陰気なままである。そのため三宅Bはひたすらに物語の摂取を望む。ふだん私が小説を読み続けるのはBへの栄養補給という側面が大きい。

だからこそ、自分が文章を書くとなった時も、Bがのそのそと出てくる。Aはその間基本的におとなしく引っ込んでいる。Bは暴走が激しいため、少々小っ恥ずかしいお話でも書いてしまう。しょうがない、Bは子どもだから。

しかしBが思いの丈を綴ったままだと、文章としてあまりにひとりよがり過ぎたり、いろいろと自意識がそのまま出ていたり、具合が悪いことが多い。そのため大抵、翌朝になって出てきたAがBの書いた文章を添削する。AがBに向かって「おいこの文章はまずいぞだれかを傷つけるぞ」とか「おいこの文章はあまりにも自意識が出すぎだぞ」とか「ばかやろうこんなこと書いたら嫌われるじゃないの」とか文句をつける。

しかしこの際、Aの意見が通るのは3分の1ほどである。Bは自信がないため渾身の文章を削られても黙っているのだが、AはなんだかんだBという妹がかわいいがため、「しゃーない、ちょっとアレだけど、まぁこの文章は残すか……」と思ったりするのである。Aはこう見えていいやつなのだ。性格は悪いけど。

 

私の文章は基本的にBが執筆担当、Aが添削担当という構成で成立している。論文を書くときもブログや書評を書くときも一緒だ。Bに暴走させ、Aが止める。あくまで作者はBだ。

そんなわけで、大学の友人に「三宅の文章を読んだよ~」と言われると、「いやちがうんだよアレを書いたのは、君の知ってる私(姉)じゃなくて(妹)なんだよ……!」と言いたくなる。書いたのは君の前にいる私じゃないっ。しかし頬を引きつらせながら私は「ありがとう……」と曖昧に笑う。

 

余談。この話だけでも十二分にアブない話だけど(※ちなみにこういう文言を付け加えるのがAの仕事である)、もっとアブない話をすると、自分の心の中には「少年だった場合の三宅(12)」とか「まだ若いつもりの老婆である三宅(72)」とか「少女時代の三宅(11)」とか6歳くらいから70代くらいまでの自分が住んでいるという感覚があるのだけど、まぁそれは本題とずれるため話は割愛する……。物語を読みすぎると様々な人格が生まれるのがいいところですね。

 

そんなわけで、長いあいだ、AとBはなかよく役割分担してきたのである。仲良し姉妹であり、ふたりはうまくいっていた。うまくやってきたのだ。

これまでは。

 

しかし最近、具合が変わってきた。本格的に大学院生活を過ごすにつれ、人と話す時間が人生の中でこれ以上ないくらい極端に減った。こうして「三宅香帆」としてあれこれ文章を書く機会も増え、歌を読んで論文を仕上げなくてはならない。こうして日々、研究に文章に打ち込むうちに……最近、あまりに、三宅Bの存在感が増してきているのである。

これまで、小説を読んだりするときくらいしか出番がなかったのに! まじかよB。いきなり労働時間が増えたよB。

すると、こうなって拗ねるのは、Aである。ここ1年三宅本体がひとりでする作業が増え、Bが稼働しっぱなしであるため、Aはマジ暇なのだ。これまで様々な外交を引き受け、ほぼ働きっぱなしだったのに。ずっと人生を請け負ってきたのはAだったのに。Aの全然仕事がなくなってしまった。ワーキングプアもといニートである。おとなしくしてるしかない。

するとどうなるか。

 

「ねえ、大丈夫だよ! こっちの文章にしたほうがいい印象になるって!」

 

このところ、頻繁にAはBへ囁く。

これまではかわいい妹のBがどうにかうまいことできるよう尽力していたAであるが、めちゃくちゃ暇になってしまったため、自分の力を行使できるよう自らがんがん動いている。Aはそもそも働き者なので、自分から仕事をとってくる主義なのである。えらすぎかよ。

文章を書くときも、Aは添削するだけでなくおのれの書く量を増やしてゆく。するとAの表現がどんどん増えてゆく。

Bは、まぁどうせ文章もおねーちゃんのほうがうまくやれるもんな……とぼんやり委ねる。自分の文章なんて、所詮は中二病の産物である。そんなことくらい知っている。

 

「ね、ほら、私に任せて!」

 

AはにこにこしながらBからペンを奪う。Bはぼんやりとそれを見ている。

Aの存在感はどんどん増してゆく。うまいこと書けるように、ちゃんときちんとした文章を書けるように。

侵食されてゆく。

 

 

のが、現在である。

お分かりであろうか。いや分かんないっすかね。まぁそういう感じなのである。

私は思う。Aよ、お前、暇だったんだな……。そりゃまぁ24歳にして隠居を薦められたら泣くよな……。

そんなわけで、ペンネームがほしかった。やっとここの話に戻れる。そう、私はちゃんとAとBを分けたかった。Bに名前を与え、Aとはちがう人物なんだよお前はと言ってやりたかった。Aに、Bが動けるようになるにはきみの力が必要なんだよ、と撫でてやりたかった。実はおねーちゃんのほうが気にしいなのだ。

しかしこればっかりは仕方がない。ペンネームが欲しかったといえど、たぶんペンネームを使って書いたら今の文章は書けない。私は、AもBも使って三宅香帆を構築してゆくしかないのである。

今更分けられたりなんかしない。たぶんAもBもいることが必要なのである、三宅香帆には。ほら、シスターフッドものも流行ってるし。関係ないな。

しかしAもBも生まれた時から一緒にいたのだ、もはや離れることもどっちを殺すこともできないのである。たぶん。三宅は三宅なのだ。……なんの悟りなんだろうか。

 

 

この日記に結論はない。たぶん結論は出せない。この先AとBがいかに和解するのか、あるいは殺し合うのか、私には分からない。私はAでもBでもないからである(じゃあだれなんだ?)。

しかしどうにかAもBも暇を持て余さず、楽しく毎日を過ごしてくれ、と、三宅香帆(本体と名づけておきますかね)としては望むばかりである。

 

 

……ここで最初に「※今回の話はいつもにもまして中二病っぽいです」とか注釈をつけたがるのがAの仕業なんだよな、わかってるよ、A。ほったらかしてごめんな。でもちょっとその注釈は置いとけよって話だ。

 

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)

 

 双子ものだったら『ふたりのロッテ』がいちばん好きです。